一言の重み

一言の重み

これは、私が小学生だった時のお話です。

以前メルマガなどで書いたことがありますが、私は、小学生時代は、学校でも知れ渡った問題生徒でした。

素行、学業ともに悪かったのと、全般的に学校に適合していなかったので、一時期特殊学級に入るのを勧められていたくらい、と言えば、何となく想像頂けるかも知れません。

ある時は、隣のクラスの先生が、自習か何かの見回りに来て、何か些細なことで私の名前があがると、

「おまえが礒か!」

と言いながら、私のそばにきて、頭のてっぺんから思いっきり平手でたたかれました。

まるで、脳しんとうを起こすかのような強さで、頭がくらくらしたのを覚えています。

しかも、そのときは、詳細は覚えていないのですが、大して悪いことをしていないつもりだったのに、私の名前をきくや、より怒ったという感じで、子供ながら何か不条理に感じたのを覚えています。

今思うと、その先生は男性で、担任の先生は女性だったので、男性が気合いを入れたら行動が変わるのでは、とか考えたのかも知れませんが、私の中では痛い想い出だけで行動に影響はありませんでしたが。

別の時は、他のクラスの先生が来たときに、私が熱を出していて、熱を出している人がいます!と誰かが言って、それが私だと分かると、

「なんだ、いそか。。。」と言いながらおでこに手を当てました。

学年の先生なら誰でも、私の名前を知っているんだなあと後に気づきました。こんな私が、更生し始めるのには、いくつかの伏線があったのですが、その最初のきっかけは、小学校3年生の時でした。

私が、特に素行が悪かった小学校1,2年生の時の担任の先生と、学年があがり、3年生になったときに、校庭でばったり会いました。回旋塔って、わかりますか? 校庭の、回旋塔のそばで、友達と一緒にいたときに、久しぶりにあったその先生が、私にこんなことを言いました。

「いそちゃんは、ちょっとふざけているだけなのよね。本当はおつむがいいんだから。ちょっとふざけているだけなのよね。」こんなことを言いました。

さて、それまで、前述のように、学年のこちらが知らない先生にまである意味目の敵にされている存在だったのに、一番優しい、信頼していた先生にこう言われて、私は嬉しくなりました。

というのは、それまで、私が言われた言葉は、大抵、

「おまえはどうしようもないやつだな。。。」みたいなものが多かったからです。

私はおつむがいい、つまり、頭はいいが、ちょっとふざけているだけだ。これは、とても気に入ったので、心から信じました。

この言葉で、私のこれまでの悪事が、全て正当化されるような気にさえなりました。そして、その後も、この言葉は、私の心の隅に、ずっと残っていきました。

私は、本当は頭がいいんだ!ちょっとふざけているだけなんだ!

このセルフイメージが、深く心に刻み込まれました。

その後は、テストの点が悪くても、成績が悪くても、3年生になって、素行が悪くて登校禁

止になった日があっても(笑)「頭はいいのにちょっとふざけているだけだ!」と心のどこかで思っていました。

その意味で、私は、この一言で、人生が変わったと言っても過言ではありません。他にもいろいろあったのですが、今でもこうして覚えているくらいですから、私には、とってもインパクトがありました。

さて、この先生、その後、母親が長年年賀状のやりとりをしていて、うちの実家のかなり近くに住んでいることが後年分かりました。でも、私が小学生の時で、既にベテラン先生という雰囲気だったので、かなりお年だろうなあ、と思いながら、月日は過ぎました。

今、私が仕事柄いろんな相談を受けると、子供の時に聞いた大人の一言が、いかにインナーチャイルドや、トラウマとなって潜在意識に残るか、そして、セルフイメージに影響を与えるか、痛いほど感じています。

その意味で、この先生の言葉のありがたみが身にしみて、そして、いつか、会ってお礼を伝えたいな、と思い始めていました。

そして、2010年11月。実家に寄り、半日、ぽっかり時間が空いたときに、なぜか、「そうだ、今会いに行ってみよう!」

と思い立ちました。そもそも、電話番号を知らないし、小学生の時以来30年以上連絡をしていないので、いきなり家を訪ねてこられても迷惑かも知れない、と頭では思いました。

そして、母親も、いきなり行っては迷惑じゃないの、としきりにやめるようにと言います。が、フィーリングは、今行ってみよう、という確信でした。フィーリングは魂からのメッセージ、この感覚を信じて、とりあえず行ってみることにしました。

さて、住所を頼りに行ったのですが、かなり込み入った住宅街で、住所から見つけづらい地域で、最初は引き返そうかと思いました。

そこで、そうだ、インスピレーションを使おう、と、感じるままに道路を眺めていて、突然、ある坂道をあがろう、と思い、運転していた父親に右折をしてもらいます。

そこでも、まだ3差路の嵐みたいな細い道だったのですが、そこで車を降り、この道を行ってみつからなかったら、今日はこのまま帰ろう、と、歩き始めました。

果たして。。。みつかりました!

歩いてすぐに、右側に、先生の表札が、そして、同じ住所がみつかりました。

おそるおそる、インターフォンをならします。すると、向こうから、ややいぶかしげに、

「どなた様でしょうか?」と聞いてこられました。

先生ご本人か、それとも一緒に住んでいるという娘さんかわからなかったので、名前を名乗っても通じるか分からなかったのですが、思い切って名乗ってみました。

「あの、以前小川先生にお世話になった礒 一明といいますが、先生おられますでしょうか?」

すると、おられたのは先生ご本人だったようで、「あらー、まあ、ちょっと待っててね!」と、表に出てきてくださいました。

そして、ちょうどお時間があったらしく、あがってお茶でも飲んでいらっしゃい、と、いきなりお邪魔して、そのまま30分ほどお茶をごちそうになってきました。

一通り昔話をした後、先生に、例の件を切り出しました。

回旋塔のそばで、先生に言われた一言が、自分にとっても励みになった事。他の先生には邪険にされることが多かったのでその温かさが心にしみたこと。

本当は、お礼をいいながら、うるっと来そうになったのですがぐっとこられて、無事お礼を言い終えました。

すると先生、「あら、そんなこと私言ったかしら。全然覚えていないわ。」

とのこと。おそらく、大勢の生徒に、こうしたメッセージを贈ってくれていたのでしょう。

そして続いて、こんなことも言っていました。

「礒くんが問題児なんて、感じたことないわよ。」

そうか!そうだったのか! つまり、心の底で、問題児だと感じていたら、それが言動に出て、子供は敏感に感じます。それを、この先生から感じた記憶は、私にもありません。

さて、この先生は、小川文恵先生と言います。お会いした当時で90才近くでしたが、まだ全く変わらずお元気で、安心しました。

そして、昨今の教育事情にもよく通じてらっしゃって、今のいじめでも、先生らしいご意見を持っていました。

こんな先生が大勢いたら、いじめも問題児も減るかも知れないな。そう感じた1日でした。

一言の重み2

記念に、パチリと写真を撮らせて頂きました。小川先生、ありがとうございました!

最後に:

このブログを読んで下さった、通称「問題児」のご両親の方、あるいは、担任の先生の方。こんな私でも更生しました。子供の将来を創るのは、周りの大人の言葉だと思います。

是非、愛の言葉を届けてあげてください。

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