私のスピリチュアル離婚物語

この記事は、2012年にメルマガで配信したものを、一部編集して投稿しています。
テーマは、スピリチュアルな離婚です。

離婚は善か悪か?

何としても避けるべきものか?不可避な時もあるのか?良い離婚と悪い離婚はあるのか?

こんなテーマに、私自身の離婚体験から向き合ってみたいと思います。

第1章:離婚は善か悪か?

何としても避けるべきものか?不可避な時もあるのか?良い離婚と悪い離婚はあるのか?

こんなテーマに、私自身の離婚体験から向き合ってみたいと思います。

私は、ご存知の通り、人生最適化®をテーマに仕事をしています。人生に偶然はなく、起きていることはすべて必然。そして、すべて最適。

起きたことが最適なら、そこから学べることは何だろう? こう考えることで、学びが加速する、と信じて、そして話してきました。また、人生で、一番大切だと思うのは、自分の魂の声を知ること。心の内側で、本音だと感じることがあったら、それこそが、自分の人生の最大の導き。

実際、そうして魂の声、内なるフィーリングを聞いて、ここまで導かれてきた、と感じています。さて、こんな私に、2011年初冬、難題がふりかかりました。

いえ、言葉を言い換えます。チャレンジ、課題を受け取りました。

難題、は難しい問題、ですが、人生にあるのは課題であり、問題ではないと考えるようにしています。ふりかかる、というと受け身で、被害者みたいですが、私は、大きな出来事は、自分で選んで経験していると考えるようにしています。

これほど大きなことが、偶然のはずもなく、おそらく、予定通りだったのだと思います。が、当初は、今回の課題が予定通りだと受け取るにも、少し時間を要しました。

人生には、課題しか起きない、と言いますが、

時に人生の方向性を揺るがす、やや大きめの課題が起きます。それは、成長の伸びしろが大きくなるから。そして、私は、2011年に、やや大きめの課題を手にしました。

私が手にした課題。それは、夫婦関係。

2011年のある時期から、妻との間で、何かが変わっていきました。相手がいることなので、具体的なお話には触れませんが、継続的なやりとりの中から、これまでにない距離感、違和感を感じ始めました。とは言っても、17年も続いた夫婦。

これも、一時的なものかもしれない、と、しばらくは見守ることにしました。また、内なる声、フィーリングはともかく、思考では、妻が本質的に良い人間であることを知っていることも、課題を大きくしました。

ハートの声と思考が、一致していないのです。しかし、後に、これが、私の成長のテーマであることを知ることになります。さて、そうした間にも、更に、距離感、違和感を感じる流れは変わらず、いや、むしろ、加速していきます。

こうして、迷ったとき、私はいつも瞑想をします。

そこで、瞑想で得た答えは、まだ自分では受け入れる準備が整っていませんでした。その後、様々な形で、一人の時間を設け、そのテーマについて考え続けます。こんな時に最適だろう、と、セドナに一人で出かけ、数日間、ただひたすら歩き、インスピレーションを受け取ったり、あるいは、思考を続けたりもしました。そんな過程の中で、あることに気づきました。それは、流れは、確実に、ある方向に向かっていることに。

これは、以前に、仕事で経験がありました。私が会社時代、ソニーを辞める最後の一年は、これまでの楽しすぎた会社生活に比べて、横車を押すような、あるいは、正面からの逆風を感じる日が続いていました。

一方、もし起業をしたら、という前提で、ちょっとリサーチ、あるいは準備を始めると、そちらは、まるで、世界が自分を待っていたかのように、素敵な出会いが続いたのです。

後に、これらは偶然ではなく、私は、導かれてここに来たことを知ります。さて、今回、似たことが起き始めました。頭では、いかに今回のチャレンジを、どう丸く収めるか、と考えても、フィーリングでは、そして、様々な「偶然」の出会いで手にする、あるいは感じるメッセージは、すべてにオープンでいること、選択に良いも悪いもない、どの道を選んでもそこに成長と学びがある、というものでした。

何度考え直しても、瞑想をしても、同じ所に戻ってきました。

原則に例外はないようです。

宇宙から試されている、そう感じました。そして、自分との対話を続けました。

今回はここまでにします。

続きはその2でお読み頂けます。

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